2025/2/21
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分離という無明 |
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私たちは個でありますが、それはすなわち敵対を意味するものではないということは、現代人ならば誰しも当たり前に認識しているところです。 しかし、この個の意識が3次元世界における(まやかしの)恐怖心と結びついた時、自分と異なる考えを持つ人を否定したり、争いを引き起こしたりして、さらなる分離と対立の世界を生み出し続けることになります。 それはまさに無明ー真理に暗い状態。 ここに、光を照らしていきたいと思っています。己の中の無明に、です…。 ****** たとえば、偏見の問題。 電磁波過敏症を発症してから、それはもう、いろんな問題に遭遇しました。 電磁波なんて存在しない/太陽の下を歩けるなら電磁波過敏症は嘘だ/認識の問題(=頭がオカシイ)などなど…パナ波研究所へ行ったらどうか?とケンカ腰で言われたこともありました。 電磁波測定器では測れない低い数値でも反応する、電磁波かどうかも分からないエネルギーにも反応する。自分でもどう説明・定義をしてよいのか分からないのですから、どう思われても仕方がないとも思ってきました。 それでも、ネット上で同じような目に遭っている人をみると、私が言われているような気持ちになってしまったり…。自分にも被害者意識があるのですね。 実はこれが、私の中にある分離意識(対立構造)の投影なのです。 自分に理解できない物事に出くわした時に、私自身も同じ判断をしているということなのです。そこを認めて、自分の中の分離意識を緩めていくことをやっています。相手を変えるのではなく(変えられません)、やるべきは自分を変えることです。 (ホメオパシーでは「この世界は同種療法なのだ」と習いました。周りは自分の内部を映し出している存在であり、自分の気づかない・気づきたくない闇を見せてくれている。自分の一部だと認めたその闇ごとの自分全体を光で包み込むと、世界そのものが光で満ちていくようになる…と。自分を赦していくからこそ、人を赦せるようになる。赦せない自分=本来の愛そのものの自分と分離しているもの。それを統合していくのが、人生ということです。魂が本来の光に還るための修行場が地球です。) 誰しも、経験のないことや常識と思っている範疇を超えるものに対しては、にわかには信じがたく、受け入れがたいものです。 でもそれは、まだ自分にとっての真実ではない、というだけで、誰かにとってはすでに真実なのですから、心を開いてそれを尊重していける人間になっていきたいと思います。 そして、この地球というのは、皆が同じ経験をするような非効率な学びの場ではありません。誰ひとりとして誰かと同じ人生を味わうことはないのですから、まだそれを知らない魂もあれば、経験をしないと決めている魂だってあるのです。 私たちは、皆ひとつずつ、課題を分担しているに過ぎないのです。 いつか必ず同じところへ、それを提出しに還り、そこで皆ですべてを共有するのです。それぞれの魂が持つ勇気というものに敬意を払いたいと思います。 ****** 犠牲者は加害者を作り上げます。その分離した関係性から、愛ある調和のとれた世界は築けるのか。そこを考えてみて、目の前の状況に新たな選択肢を探していきたいと思います^^ ![]() (境内地に入ったところで掌に飛んできたシジミチョウ?このまま長い参道を一緒に歩き、御手水で手を清めるところでお別れしました@熱田神宮) |
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