2025/2/24

バンジーの夢

 
このところ、『幻想を打ち破る』というテーマがやって来ているので、そんな内容ばかりで恐縮ですが…
 
リコネクション(についてこのHPでは触れていませんが、リコネクティブ周波数を使ったヒーリング=進化のもうひとつの形態、でしょうか)を受けることが決まって、入金を済ませた日の夢でした。
 
(*私自身が元来、物事の本質や裏側などに敏感な方であることと、すでに世界の裏側をある程度知っている状態であったことを前もってお断りしておきます…)
 
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成人式(何回目???笑)の日に、久しぶりに会う友人たちと近況を話している場面でした。
 
現実世界でも、仕掛けられた・作られた流行や、「礼儀」「常識」といった謳い文句で半強制的に従うべき風習というものがありますが、その夢の中では、成人を迎えた人は大人としてのたしなみ・責任・ある種の義務として「自分の葬式のための保険」に加入することが「流行」になっていました。(※お葬式のための積み立てや準備などがいけないと考えているのではありません、むしろ大切なことです。この夢の世界での「葬式保険」があまりにひどい内容だったという意味です)
 
私自身は、世間でそういうものが幅を利かせているということも知らないで生きており(TVなし・スマホなし生活…)、しかしその場に居た同級生たちは全員加入をしており、衝撃を受けました。さあこれから社会へ出て夢を実現していこう!という門出の時に、葬式(これもピンキリの話じゃないでしょうか…)の準備を「大人のたしなみ」としてさせられるなんて。「どうせ何も出来ないんだから」という洗脳甚だしいと…。
 
自分がいつどんな状況で死ぬのか、その時に「お金」や「補償内容」は今と同じ価値があるのかも分からないし、今の常識が葬式を託す次世代の常識である保証もないのに、決して安くない保険金を成人になった時から支払い続ける…そして誰もが「大人の世界とはそういうもの」と、どう考えてもおかしな(ぼったくりの)仕組みを「仕方ない」ポーズを取りながら受け入れることが、誇りのようにも見えました…。
 
そして、この夢の真骨頂はここからなのですが笑、その仕組みが洗脳支配であると説明をしてみたものの、全く説得力に欠け(残念)、どうしたものかとギリギリしていると、人が集まってざわざわしてしている場所があったので覗いてみました。
 
そこはバンジージャンプが出来るところだったのですが、命綱が壊れかけていて、まさに「命懸けのバンジージャンプ」をするか否かで騒いでいるのでした。成人早々に葬式の心配はしても、命はやはり惜しいのか…と何だか悲しい気持ちになり、私は大丈夫だというところを証明して見せようと思い立ったのです。命を粗末にするつもりはなくて、絶対というものはなく、「自分のことは自分で決めているのがこの世界なんだ」「奇跡と言われることでさえも自分で意図して起こしているんだ」ということを見せたかったのですね。
 
そう考えていたら、いくら壊れそうなものでも、命綱を使うことさえ無意味(失敗することを可能性に入れているから)と思えてきて、何と丸腰のままで笑、エイや!と飛び降りたのでした…。夢を見ながら「マジで!?」思いました笑
 
地面に着地した時に、両足に衝撃はあったものの(階段5段くらいを飛び降りた程度の)(これくらいには疑いが自分の中にあったのでしょうね)、転ぶわけでもなくしっかりと立てたことに感動しました。ほらやっぱり!と。そのあたりで目が覚めてしまいました。
 
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夢の中でも、よい子はマネしない方が心臓には優しいです…笑
 
これは、意識が世界を作っているのだということを、私自身が「見せられた(経験させられた)」「教えられた」夢なのですね。そうは知っていても、疑っている部分もあったわけです。でもそう信じてみたいと思ったからこその夢でした。(最後で「ほらやっぱり!」と思っているところが証拠です笑)
 
本当に理解して分かっていたのなら、着地する時に飛び込みの選手みたいにぐるりと回りながら着地して見せたり、羽を急に生やしてゆっくり着地するとか、いろいろ方法があったと思います。。。
 
 
寝ている間の出来事は、多くは顕在意識へ持って帰れないのですが、覚えているものの中には何かしらの学びが(見たくないものもありますけれど)あって、忘れてしまうには惜しい世界です^^
 
(怖いと思ったら渡れない、壊れそうな橋…と渡ってから気が付きました
@川上山若宮八幡神社)